つい先日、スーパーでゴーヤが売っていました。
「この時期でまだゴーヤ??!」と驚きながら、ついついあの苦味が恋しくて買ってしまいました。
人の好みにもよりますが、ピーマンの苦味を初め、ゴーヤの苦味、、、
普通 “苦味” なんて、生物学的に言ったら自然界では『危険信号』的な意味をもつものなはず・・?なのに、どうして『美味しい』とも感じてしまうんだろう???と、毎回不思議に思いながら食べています。
(↓写真が無いのも淋しいので載せますが、恥ずかしながら我が家の食卓^^;)
苦い経験、苦い言葉、など、味以外でも使われることのある『にがい』
もしかしたら、ゴーヤやピーマンなどはただ苦いだけでなく、栄養にもなる苦味成分だからこそ、体がちゃんと『美味しい』と認識してまた食べたいという欲求を起こさせるのかもしれません。
本当に害になる毒物の苦味はきっと『また食べたい』と思うような苦味とは違うはず・・・。(毒物を舐めたことはないですが)
経験も、人の言葉も、
その人の糧になるような、苦くても愛あるものなら大いに食べて苦しんだって良いと思いますが、
ネットに溢れている他人を攻撃するだけの誹謗中傷のように、何の役にも立たない苦味なら無理して取り込んところでその人をダメにしてしまうだけだと思います。
乗り越えられない壁はないとか、神様は乗り越えられる試練しか与えないと言われることがありますが、
乗り越えられないことだって人生の中でたくさんあると思います。(一般的な人生何年と言われる年の半分しか生きていない私が言うのもなんですが。。)
何が言いたいかと言うと、乗り越えられなかった自分を責める必要はないんじゃないかなってことです。
そして、全ての辛辣なものを『課せられた試練』『乗り越えなければいけない試練』として、受け入れなければならない。と思わなくても良いのではないか。と言う私の考えです。
何かに対して挑戦し、それで自分にとってプラスにならない事象だと感じたならば、そのものからは目を背けたって、逃げたって良いと思います。
挑戦して、結果自分にとって幸せな道を見つけてくれればそれで良いと思います。
いじめ問題、進路に関すること、安楽死、日常の悩み・・・
ペットに関していえば、今後治療が功を奏さない病気になり、苦しみがずっと続く状態になってしまった時、飼い主様はこの子にとって何が一番幸せなのかとても悩まれると思います。
亡くなった後も『あの時あの子にしてあげたことはベストだったんだろうか』と、未だにずっと悩まれている飼い主様もいらっしゃるかもしれません。
それでも『苦い(くるしい)』事も、その子の事を思ってしてあげた事ならば、その子にとっても受け入れられる苦しみになっていると思います。飼い主様の“愛情”という栄養がある限り。
最後まで、命尽きるまで寄り添う事も、飼い主様の選択で苦しみから解放してあげる事も、愛情あっての事ならば、どんなことでもその子にとっては幸せなことだと思います。
その子にとって、“苦しくても幸せだった”という最期を迎えさせてあげるためにも、普段の過ごし方を充実させてあげ、心と心の会話ができるよう絆を構築することが大切です。
ちょっとした不安、相談事も獣医学的観点から、そして一同じ動物を見守っていく立場の人間として、当院でも患者様ご家族を一歩下がった場所から支えていきたいと思っています。
ゴーヤ1つから、、だけではありませんが、秋のせいか色々と考え悩む機会の多い今日この頃です。
※なお、ゴーヤは消化不良などに気をつければ、特別ワンちゃんにとって害になる成分は含まれておりません。ただしワンちゃんは苦味が嫌いなので好んで食べることは無いかと思います^^;