先日亡くなった我が家の愛猫 “花” との思い出話。
亡くなってから、たくさんの患者様に「何歳だったんですか?」と聞かれるのですが、そこが花の最大の謎。私たちも不明なんです。
時は遡り2007年。我々が十和田キャンパスに移ってきて最初の冬でした。(北里大学獣医学部は2年次から相模原キャンパス→十和田キャンパスに移ります。)
当時私は大学で動物の愛護活動のサークルの部長をしており、その日も愛護団体の方から委託され、捕獲した猫の堕胎・避妊手術のため、日下(若かりし頃の院長)と共に動物病院を訪れてました。
捕獲されていた猫はお腹がUFOのようにパンパンで、レントゲンで確認してみると、お腹の子たちはもうすぐ生まれるくらいまで成長しているとのこと。
せっかくの命、もうすぐ生まれるなら子猫を産ませた後で避妊手術をし、その後野に放してもいいのではないか。と考え、母猫を我々で保護し、子猫が生まれるまでの間面倒を面倒をみようかという結論になったのでした。
愛護団体の方から聞いたお話ですが、母猫の餌やりさんが言っていた話によると、その母猫は八戸の神社付近を彷徨いていて、すでに5〜6回ほど出産しており、年齢も5歳前後ではないかとのことでした。土管の上でよく座ったりしていたそうですよ。
5年も野良だった割に、猫エイズも白血病も、寄生虫感染もその他病気もなく、、 薄汚れていて耳がちぎれていて、眼瞼が切れていること以外は栄養状態も良く、なかなか強い生命力を感じる猫でした。
花を保護してしばらくし、彼女は7匹の可愛い子猫を出産しました。極寒の地・3月での出産。
本気で産む気あった?!!というくらい、野良で出産するには過酷な条件の日の出産でした。
出産後5日経ったある日の光景↑ (こたつの中で。) きっとこんなにぬくぬく快適な出産育児は初めてだったでしょうね^^;
7匹の子猫たちは、成長にやはり差がありましたが、暖房の効いた部屋で、みんなスクスク成長していきました。
子猫2枚目は1匹どこかに行っていますが、どちらの写真にも我が家のシハルがいます。みなさんわかるでしょうか??? 探してみてね。
かつてないほど快適な出産・育児を終え、徐々に子猫たちは新しい飼い主さんの元へ貰われていきました。
母猫は子猫たちのことを溺愛していましたが、1匹1匹いなくなっていくことに特に不信がる様子もなく、、むしろ「あ〜やれやれ」と感じているかのような雰囲気でしたが、最終的に子猫1匹はわたしたちで飼おうと思っていたので1匹だけは、いつまで経っても母乳を吸って巣立つ気配がなかったので、「おかしいぞ??(いつまで経っても巣立たない奴がいる・・・)」とどこかしら感じているような様子でした。
その後予定通り、母猫は野に戻す・・かと思ったのですが、さすがに野良に戻すのは気が引けるため、譲渡会で新しい飼い主さんを探すことに。
愛護団体の方が主催している譲渡会に参加させていただきました。
しかし、成猫とあって、そうすぐには飼い主さんは見つからないもの。母猫の1回目の譲渡会参加は不発に終わりました。
譲渡会参加の後、日下と話をし、「母猫も良い子だからうちで引き取ろうか?」という結論になったのでした。
譲渡会に参加して、不発に終わったことに心のどこかで安堵な気持ちがあったんですよね。貰われなくてよかったかも。と。
そういうわけで我が家の家族として迎え入れることになった母猫。
名付けをしたのはどのタイミングだったかは私は覚えていないのですが、7匹の子猫たち全てに「花」の漢字を当てていたこともあって、「花兄弟のお母さんだから、もう“花”で良いんじゃね?!」ということで名前が“花”となったのでした。(花の子たちだから子猫みんなに花の漢字をつけたわけではないというところがミソです) 結構太っていたことと、当時見た映画から「ビックママ」と呼ばれていたこともありましたね。
この花さんも、保護した時は、壁一枚あるような、どこか心許していない目をしていましたが、
出産を励まし、子猫を一緒に育てたこともあってか、この子猫誕生をきっかけに心が打ち解け合えた感じがしました。
実は私は花と出会う前にも、保護していた犬の出産に立ち会ったことがあったのですが、この犬も出産を機に心を許してくれた印象がありました。
人も動物も、不安なことや辛いときを一緒に乗り越えてくれた相手に心を許してもいいと思ってくれるものなんだな。と改めて印象深く感じたエピソードです。
巷ではよく、産後の恨みは一生続く。とか言いますもんね^^;
はい。気を許しきってくれている花の寝顔です↓ とっても可愛いでしょ(笑)?